AyanaのAh〜♪

頭の中覗いてみませんか?

過去記事

SNSで、過去記事をリブログしたり、シェアしているのを見かけて、私にはその発想がないということに気付いた。

私は、SNSを頭の整理に使うことが多い。

そのため、過去の記事は思い出というより、成長記録のような位置付けになっている。

なので、過去の記事は大抵小っ恥ずかしくて、とても再度UP出来るような内容じゃないんだよねぇ…

子どもの頃や若気の至りで良くある失敗話なら、時が経って笑い話になっているはず。でもこれが、つい2、3年前に書いた記事なので、本当に苦笑するしかない。もう年齢的にはいい大人なのに、何言ってんだろう? 完全に自分に酔ってますよね…過去のワタクシ…

FBで毎朝、過去のこの日 として、過去記事が上がってくるのを読んでは、その度に、カサブタを剥ぐような気分に陥っている最近でございます…

ひとつ言えるのは、過去記事が可笑しいと思える程度には、成長したんだなぁということ。

まだまだ成長できると感じている。

 

 

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性善・性悪説と期待値

私はずーっと長い間、漠然と性善説で生きていました。性悪説の方とお話をして、性善説性悪説を他人や自分への期待値として捉えたとき、考えを改めました。

 

性善説って、人を信じるってことで、何だかいい人になった気分になれます。よく、「人を騙すより、信じて騙される方が良い」とかいうフレーズを耳にしますし、誰もが最終的に良心に基づいて行動するものだと思っている方が希望が持てそうです。

しかし、性善説の最大の利点であり、欠点は、何でも自分以外の何かのせいにできてしまうことだと私は考えています。

 

人を信じるということは、人が良心に基づいて行動することを期待するということです。当然、期待値が高いと思っていた結果が返ってこなかったときに裏切られたような気分になってしまいます。

実際、人は間違っちゃいます。期待が外れ、騙された!みたいな状況になると、腹たつんですよね。

「信じられない!」「あの人信じてたのに酷い!!」もっと行けば、「あの人はおかしいから、何かに取り憑かれてるんだ!」「精神病だ!!」「社会が悪いんだ!」と本当は自分で解決できる問題から目を背けてしまう場合もあるでしょう。

性善説で生きていれば、他を責める理由を見つけるに事欠かないので、自分は悪くない!と思い込むことができるのです。

 

その点、性悪説については、最初から人に期待していません。

人はみんな間違っちゃうと思っておけば、いちいち、騙された!だの 酷い!だので大騒ぎしなくてすみます。騙されないように対策をとることもできます。自分を守ることができるし、間違っちゃった人を必要以上に責めることもなくなります。

より問題解決がしやすい思想だと言えるのではないかと思います。

 

現在、私は、性善説とも性悪説とも言い切れないところにいるように思います。考えを改めるといっても、思考は癖ですから、いきなり180度変わるって出来ないんですよね。行ったり来たりしながらゆるゆると進んでおります。

 

 

 

やっぱり最後は自分

困ったおじさまたちについて書いてきました。

特徴としては、

①上から目線だが、それに気付いていない

②他人を良い悪いで判断する

③自分の意見を一般論にすり替える

④人からの評価を必要とする割に、自分を変えようとしない

のですね。これは、私の中にもある性質なのだと思います。なので、こういうおじさまを見かけると、イラッとするんですね。人のふり見て我がふり直せだなぁと思っています。

本当に困ったおじさまたちという人種が存在する訳ではなく、私がそこを切り取ってしまっているに過ぎないので、おじさまたちには非常に理不尽かも知れませんが。

私にもこういうおじさまたちを誘引してしまう原因があるということです。

人は自分の鏡です。変えれるのは自分だけ。

早く困ったおじさまたちが気になってしまう状態から抜け出したいものです。

 

 

 

困ったおじさまたち♡3

人は鏡と言いますね。人の嫌なところは、自分も持っていると言います。自分を知り、成長させるには敵を研究するに限る!そんな愛すべき嫌な部分を持ったおじさまたちについて書いてみました。

 

⑤心配するおじさま♡

私のことを、心配してくださる方が時々いらっしゃるのですが、往々にして、「心証が悪くなるのに、何でそんな事をするのか?」「そんな事はいうべきではない」というお説教を頂くのです。

知人に、こういうことを言われるのは何でかな?と聞いてみると、おじさまはあなたに可愛い子でいて欲しいんだよ と言われました。

でも、好きでもないおじさまに可愛いと思ってもらうために、私の言動をおじさまの理想に寄せるような事は、私はしたくありません。

おじさまは、常に上から目線です。

君はそんな(僕をがっかりさせるような)子じゃないはずなのに何でそうなっているんだね?みたいなことを平気で言ってきます。

いやいや……そんな子なんですよ

がっかりしたのなら、お願いですから、私から離れてください…

私はあなたの子でも配偶者でもありません…自分のために生きています。

奥様を大事になさって、奥様から褒めてもらってください…

いやマジでそう思いますね…

 

 

 

困ったおじさまたち♡2

人は鏡と言いますね。人の嫌なところは、自分も持っていると言います。自分を知り、成長させるには敵を研究するに限る!そんな愛すべき嫌な部分を持ったおじさまたちについて書いてみました。

 

③ナンパするおじさま♡

かつて住んでた街の知り合いのおじさまから連絡が入り、そっちに行くから、一緒にバーベキューをしよう!と誘われました。セクシーコスプレでね!と言われ、冗談かと思っていたら、話が進むにつれ、本気だと判明…。

元々子どもも一緒に連れて行くつもりだったので、その確認をすると、あっさりご破算にされました。

無駄に会わずに済んだし、これくらいわかりやすく、引きが早いと、サッパリ離れられてありがたいですね。

 

④親切なおじさま♡

お世話になっていたおじさまに、その日は夕飯がないから食事に付き合ってと言われ、女連れの方が様になって気分がいいのかなぁとOKしました。食事の帰りに少し手を出されてしまい、私には全くその気がなかったので断ったのですが、その後も、やることなすことにチェックが入り、煩く言われるようになったので離れました。みんなに親切な方だと思っていたのですが、親切心ばかりではなかったようです。社会的地位もあり、知り合いも多いおじさまに対抗する手段も知恵も私は持ち合わせておらず、パワハラを受けやすい状況下で後味の悪い離れ方になりました。

 

これらのおじさまたちより学んだのは、人は年齢を重ねれば、男女関係なく人として付き合えるものだと思っていましたが、それは間違いだという事。そして、好きでもない人と2人でのお食事のお誘いは気安くOKするもんじゃない…という事でした。

困ったおじさまたち♡

人は鏡と言いますね。人の嫌なところは、自分も持っていると言います。自分を知り、成長させるには敵を研究するに限る!そんな愛すべき嫌な部分を持ったおじさまたちについて書いてみました。

 

①気付かないおじさま♡

雨の日に歩いていると、横を通った車に思いっきり水を跳ねあげられました。

信号で追いついたので、車の窓と覗き込むと、キョトンとした顔でおじさまがこっちを見ました。いやいやいや…そんな顔されても可愛くないから…

彼は、自分が人に水を跳ねあげたことを気付いていなかったんですね。

雨の日に車で走ると、歩行者に水を引っ掛けてしまう可能性がある事や、水を引っ掛けられると嫌な気分になる事すらご存知なかったのかもしれません。

次回こういう事があったら、覗き込むだけじゃなくて、教えて差し上げようと思います。

 

②褒められたいおじさま♡

子育てに頑張って参加されてきたおじさま。私が子育てについて、十分にかまってやる事が出来ない実情がある事を述べているのに対し、自分は子どもに手を掛けて成長を見守ってきた…という話をされるのですよね。

もう、そう言われてしまうと話の向かう方向は、そのおじさまを褒めるという社交辞令的な方向にしか向かわないのです。

具体的な経験をお話頂こうと質問してみましたが、説明しきれないとの事で、何も教えて頂けなかったので、やはり自分がやってきた事に自信があって、認めて欲しいのかな〜と思い、感心の言葉を申し上げました。

悪質クレーマー扱い

自分が悪いと思っていなくても、面倒くさくなると、すぐごめん という人がいる。本人は、いわゆる大人な対応をしたつもりなんだろうが、実際は失礼だ。

 

世の中には、誰彼かまわず文句を言いたい、悪質クレーマーのような人はいる。そういったクレーマーの何がいけないかというと、実際、根本的な問題は、クレームを言っている件ではなく、他にあるのに、それを解決しようとせず、他のせいにしていることだ。根本を見ようとしない。

例えると、不摂生をして体を悪くして度々病院に行き、医者に治らない!と文句を言うようなもんだ。

不摂生と理由がはっきりしている場合はまだ良いが、クレームを受ける側には理由がわからない場合も多々ある。その場合、クレーマーに対しては、いわゆる大人な対応も必要かもしれない。(ただし、いい加減に謝ったりするのは下手な対応だが。)

でも、まともなクレームに対して、真摯に取り合わず、テキトーに謝るようなことをしたら、謝られた方は、悪質クレーマー扱いされた!と腹がたつだろう。

 

上下関係を作らずにはいられない人にとって、いわゆる大人な対応というのは、必要になるのだろう。

でも、対等に向き合おうとするときに、いわゆる大人な対応はいらない。なぜならそれは、人を見下げる事に繋がるからね。された方は気持ちの良いものではない。