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AyanaのAh〜♪

頭の中覗いてみませんか?

同窓会

小中学の同窓会のお知らせが来ている。不参加の連絡はしたのだが、なんとなく返信ハガキを出すのが面倒くさくて、放置している。

私の地元は、ど田舎で、1学年1クラスしかなく、全員知っているんだけど、私にとっては、あまりいい思い出がなく、むしろ暗黒時代だった。

何年か前に、一度小学校の同窓会に出たことがあるけれど、何せ、暗黒時代だったので、当時のことが思い出されてしまって、懐かしいというより、微妙な居心地だったのを覚えている。

同窓会のグループチャットもできて、一部盛り上がりを見せているが、そっちが盛り上がれば上がるほど、ちょっと引いた目で見てしまう自分がいる。

地元の同窓会の輪の中には、あまり入ろうとは思わないが、今、どこへ行ってもアウェイな立場から見て、同級生なんかで大人になってからも仲良くできるような人間関係も、それはそれでいいなぁと思うこともある。ないものねだりというか、なんだかウエットな人間関係が苦手で、好き好んでアウェイな立場にいるんだけどね。

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普通かも…

昔からの知り合いの娘さんが、外国人との結婚が決まって、海外で生活することになった。その子のお兄ちゃんは、うちの実家のようなど田舎で起業し、順調に行っているらしい。

私は、田舎にいた時、その状況にかなり縛られていたから、この兄妹のことは、すごいなーと思う。自分のやりたいことを確実にやって行ってるからね。私は、なんのかんの、偉そうなことを言っても、実行できてない…。

まぁ、情けないって言っちゃそうなんだけどね。

でもね…

その代わり、自分が泣いたぶんは、同じように泣いている人に寄り添えると思う。そして、その反面、寄り添うしか出来ない無力さも感じている。

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新年の抱負

あけましておめでとうございます。

みなさま、どうぞ素敵な一年をおすごしください。

 

久々に実家に帰ってきまして、知人と話をしたのですけれども。

例えば、自分も疲れているんだけど、目の前の人もおそらく私以上に疲れていて、だから、肩でも叩いてあげれば喜ぶのだけど、自分も疲れてるから、気分的には乗らない場合どうしますか?私は叩いてあげるにしても、自分も疲れてるからやめるにしても、どっちもモヤモヤが残ってしまう…と言うような事を言ったら、

毎回そんな事考えているの?と言われた。私にとっては、逆にそういうのは、考えることではないのか?というのにびっくりしたんだけどね。

 

モヤモヤの原因は、自分でもわかっていて、意外と空気が読めてしまう私は、今、ここでこうするべきなんだろうなぁという、いわゆる模範解答がわかってしまうのだ。模範解答と自分の気持ちのベクトルが向いている方が同じであれば、問題ないのだけれど、違った場合の対処法が身に付いていない。

肩を叩くか叩かないかなんて、きっとほんの些細なことではあるのだけど、今まで、自分の気持ちをグッと抑えて、機械的に模範解答を選んできた。そうやって、いつまで抑えて過ごせば良いのかなぁ?と私の中で疑問が出てきてるんだよね。

もう、そろそろ、模範解答以外の対処法を身につけないとなんだろうなぁ。

先ず、人のことよりも、自分なんとかしないとね。

 

というわけで、今年は、敢えて空気を読まない人になろうと思います。

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無敵

職場の60代の女性が、若い女の子のように、子どもの年齢くらいの男性社員に対して、媚びを売って、はしゃいでいるのを見て、20代女性社員がドン引きしていた。

いや、別にその60代女性が悪いとは思わないし、本人は楽しそうなのだけど、仕事上でのアラが目立つ上に職場であからさまにキャピキャピしている様子を見ると、さすがに私も、いい歳なんだから、時と場所は考えようよ…とは思う。

私の職場では、若い女性社員が多いのだけど、職業柄、若いなりにしっかりしているので、どうもその60代女性の精神的な幼さが目立ってしまうのだ。

 

肉体的には若く見えるに越した事はないとはおもうけど、精神的に若いを通り過ぎてあまりにも幼稚なのは、全く憧れないな。

人は、歳をとると幼稚化するというから、むしろ老化現象なのかもしれない…とすら思えるんだよね…

 

まぁ…周囲の冷ややかな目線を他所に、思い込みの世界を突走っていけるだけの能天気さと、図太さを持っている彼女は、無敵だなぁとは思う。

 

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シャイなのか?

私も言ってしまうけども、物事を簡単に、「怖い」とか「難しい」とか「わからない」とか「人それぞれ」…なんて言ってるうちは、その事柄を自分の事としては捉えては居ないんだろうなぁと思う。井戸端会議のように、どこか他人事で、そう言ってしまえば、話が片付いてしまうからだ。

もちろん、それがいけない訳ではないんだけど、そういうのは、話してて、つまらなく感じるんだなぁ。なんか、もっと、意見ないの?と思っちゃう。

話の内容に興味があるなら、わざわざ、人それぞれだよねー とか、難しいよねーとか言ってお茶を濁すのではなくて、自分はこう思う ということを述べてもらった方が、いいのになー。

シャイで言えないのか?

 

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正誤

食と健康法について、述べる先生方をよく見かける。色んな食事法や、健康法があって、正直、何が良いのか迷ってしまいませんか?

 

一つは、絶対的に正しいものがイマイチよくわからない。

もう一つは、正しいと言われたとしても、それに従いたくない。

この2点に凝縮される気はします。

 

絶対的に正しいものなんて、ないと思います。

私の仕事で言えば、こうすれば、全ての子どもたちが理解できる!という魔法のツールはないのです。

 

なぜなら、視覚からの情報なら理解できるが、聴覚からの情報は、わかりにくい子。また、その逆の子に同じように接するのが、どれだけ無意味で、馬鹿らしいか、ちょっと考えたらわかると思います。

 

私の関わっている子どもたちは、たまたま、それが極端に出るだけで、多かれ少なかれ、誰しも理解しやすいポイントは違うと思うんだよね。

なので、色んな意見や、言い方があって良いと思うし、それが全て間違いでもないと思う。

ある人には極論だけど、極論まで行かないと、行動できない人もいる。

 

そういう多様性の中で、もう少し、君と僕とは違うけど、それもアリだよね!みたいに許容範囲が広がれば良いなぁと思っている。

もっと言えば、子どもらは、かなりその辺りの柔軟性はある。良いとか、悪いとかの二極論に持って行きたがるのは、大人が圧倒的に多い。

なので、子どもは、一つの答えを出す事をさしせまられる。

本当は、答えは1つではない。

 

違う答えになったとき、正誤の判断ではなく、どうしてその答えにたどり着いたのかの方が、はるかに大事だと思う。

 

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あなたじゃなきゃ…2

私は、あなたじゃなきゃダメな状況には、なるべく落ちない方が良いと思っている。

私の支援している子どもたちが、私しか受け入れられないのであれば、私は、その支援は、失敗だと思う。なぜなら、その子の世界を狭めてしまうから。

私は、自分の支援してる子らには、例え、傷ついたとしても、自分を出して、理解者を増やして欲しいと願ってる。頼れる場所が多い方が生きやすいと私は考えているからだ。

これさえあれば安心…は、裏返せば、それがないと不安ということだ。

何がなくとも、どうにかなる状況を作れれば、不安感も消える。

そのために、やっぱり、自分のことを知ってもらうのは必要と思う。