AyanaのAh〜♪

頭の中覗いてみませんか?

性善・性悪説と期待値

私はずーっと長い間、漠然と性善説で生きていました。性悪説の方とお話をして、性善説性悪説を他人や自分への期待値として捉えたとき、考えを改めました。

 

性善説って、人を信じるってことで、何だかいい人になった気分になれます。よく、「人を騙すより、信じて騙される方が良い」とかいうフレーズを耳にしますし、誰もが最終的に良心に基づいて行動するものだと思っている方が希望が持てそうです。

しかし、性善説の最大の利点であり、欠点は、何でも自分以外の何かのせいにできてしまうことだと私は考えています。

 

人を信じるということは、人が良心に基づいて行動することを期待するということです。当然、期待値が高いと思っていた結果が返ってこなかったときに裏切られたような気分になってしまいます。

実際、人は間違っちゃいます。期待が外れ、騙された!みたいな状況になると、腹たつんですよね。

「信じられない!」「あの人信じてたのに酷い!!」もっと行けば、「あの人はおかしいから、何かに取り憑かれてるんだ!」「精神病だ!!」「社会が悪いんだ!」と本当は自分で解決できる問題から目を背けてしまう場合もあるでしょう。

性善説で生きていれば、他を責める理由を見つけるに事欠かないので、自分は悪くない!と思い込むことができるのです。

 

その点、性悪説については、最初から人に期待していません。

人はみんな間違っちゃうと思っておけば、いちいち、騙された!だの 酷い!だので大騒ぎしなくてすみます。騙されないように対策をとることもできます。自分を守ることができるし、間違っちゃった人を必要以上に責めることもなくなります。

より問題解決がしやすい思想だと言えるのではないかと思います。

 

現在、私は、性善説とも性悪説とも言い切れないところにいるように思います。考えを改めるといっても、思考は癖ですから、いきなり180度変わるって出来ないんですよね。行ったり来たりしながらゆるゆると進んでおります。